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「直虎」とオスカル ~メルマガvol44発行しました~

2018.01.29

<トップ画像はBusiness Journal 「直虎、最終回の評価は?」より>
1月26日にメルマガ「大人女性のための一花咲かせるマガジン vol44を発行しました。
全文はバックナンバーからご確認ください。

今回は、冒頭に昨年の大河ドラマ「直虎」を取り上げました。
視聴率は振るわなかったようですが、私はかなり毎回を楽しみにして見ていました。
特に、日本の「働く女性」の「いま」を反映するという点で、なかなか画期的な作品であったと思っています。
以下、再掲します!
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やや古い話になりますが、昨年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」は、「ベルサイユのばら」との類似点が多いことが話題になりました。

主人公直虎は、家の存続のために、出家したうえで「直虎」という男性名を名乗って領主を務めたという設定が、まず女性でありながら、男性として生きたオスカルの状況に似ていました。
直虎を取り巻く男性との関係も、アンドレはじめとする男性とオスカルとの関係になぞらえることができました。

では、オスカルと直虎、大きく異なる点はどこでしょうか?
私は、オスカルが「自由・平等・友愛」の革命の理想に身を投じた直後に命を落としたのに対し、直虎は、理想が破れた後の現実社会を生きなくてはならなかったことだと思います。

フランス革命は、王制を倒した後、革命側は権力争いにあけくれ、思想的なリーダーだったロベスピエールはその争いに敗れ、断頭台に送られることになります。
革命は理念だけでは実現できなかったわけです。
しかあしオスカルはそうした厳しい現実を経験することはありませんでした。

それに対し、直虎は領主としての理想を求め、善政を布きながらも、理不尽な理由で領地を奪われ、自分の幼馴染で右腕であった男性を自らの手で処断することになります。

直虎の姿は、男女平等を信じて社会に出たものの、実際にはまったく「平等」ではなかった現実に悪戦苦闘した男女雇用機会均等法世代の女性の姿を重なるようにも思えるのです。

こうした「現実」を生きる女性リーダーが、大河ドラマに違和感なく登場するには、「ベルばら」から
40年以上の年月が必要だったのかもしれません。

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