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「ビジネスマナー」とは、社会人としての尊厳を支えるものである

2017.04.14


今年の新入社員研修の登壇がひと段落しました。
新入社員研修では、私が担当することが多いのはビジネスマナーです。
(女性講師には、なぜかビジネスマナーの講師が回ってくる傾向があるようですが。
「ホウレンソウ」などではなく…。
まあ、それについての考察はまた別の機会に!)

罰当たりなことかもしれませんが、実は長年、ビジネスマナーの講師を担当することに、やや複雑な感情を抱いていました。
マナーでいえば、その道の専門の研修講師の方はたくさんいらっしゃいます。
私はそういった専門家というわけでもなく、ただ社会人経験が長いというだけで、ビジネスマナー講師をすることに、どこか後ろめたさがあったのだと思います。

一方で、「私の専門ではない」という気持ちの裏には、「私にはもっと別の専門性がある」「それなのに、なぜ専門を生かした研修の依頼がこないのか?」といった気持ちもあったことは否めません。
ビジネスマナー講師で登壇する現状に、どこか飽き足らない気持ちを抱いていたのだと思います。

その気持ちを拭い去ってくれるきっかけとなったのが、友人の朝倉真弓さんの著書である「闘う敬語」でした。

この本は、敬語の指南書でありながら、小説のようなストーリー仕立て。
登場人物一人一人が、自分の仕事上での敬語の使い方を問われる中で、自分らしい働き方に向き合っていきます。

新入社員は、いくらお客様のためになりたいという気持ちがあっても、敬語ができなければ信頼関係が築けず、ビジネスの第一歩さえおぼつかない現状にショックを受けます。

営業社員として活躍している女性営業社員は、お客様からのセクハラにどう対処するかを考える過程を通じて、これまで自分が本当の意味でお客様に向き合ってこなかったことに気づきます。

こうした登場人物の様子に涙しながら、私自身にとって、敬語を含めたビジネスマナーとは、どんな意味があるのかを考えてみました。

そこで気づいたのが、辛い時期を支えとなったものの一つが、ビジネスマナーであったということ。
上司との関係に悩み、身も心も人生最低と言えるレベルまで落ち込んでいた時期、私は自暴自棄になりそうなことが何度もありました。

「会社をずる休みしてしまえ」「あんな上司に礼儀なんて尽くさなくてよい。嫌な奴ということを態度でわからせてやれ」…そんなふうに、自分のネガティブな感情を、そのまま態度に表そうという思いが、しばしば心の中に湧いてきたのでした。

でも、ギリギリのところで踏みとどまりました。
そんなことをしても、周囲からの評判を自ら貶めることになるし、結局は自己嫌悪に陥ることになるのがわかっていたから。

だから必死で、社会人としてのビジネスマナーを守りました。
挨拶はかかさず、順調な時以上に時間を守り…そうでもしないと、自分自身が一気に崩れ落ちそうだったのです。

そんなことを思い出したので、今年のビジネスマナーの研修では、例年以上に熱い気持ちになっていたようです。私が伝えたビジネスマナーが、いつか将来、受講している新入社員の尊厳を支えることになるかもしれないと思ったからです。

こちらの本当に伝えたいことが、すぐにわかってもらえるわけではないけれど、
将来、誰かがわかってもらえるだろう…
そんな淡い期待をもちつつ、伝えるというのが「教育」というものなのかもしれません。

「闘う敬語」

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