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「樹木葬」を選択肢として考える

2018.08.05

お墓の問題は、子供がいない人間にとって、悩ましいものではないでしょうか。
親のお墓は自分が何とかするとして、自分が死んだあとは、誰が守ってくれるのだろう?
そんな中、「樹木葬」の墓地を見に行く機会があったので、ご参考情報としてご紹介します。

「樹木葬」の墓地を見に行ったきっかけは、実家の母が、「死んだら樹木葬にしたい」と言いだしたためです。

「樹木葬」…日本では、ここ数年、ぼちぼちと受け入れるところもお寺を中心に増えてきたようです。
さくっと調べてみたら、里山作りと連動しているところが多いようですね。
里山に、自分の骨を埋めたい方はどうぞ、というのが基本的なスタンス。
つまり、お墓が先ではなく、あくまで里山が主体。だから、「隣の人の敷地に植わった花がはみ出してきた」とか「木の根っこが張り出してきて邪魔をする」とかいった不満を持たないことが前提になります。
最初に見学に行った千葉県袖ヶ浦市の曹洞宗真光寺の墓地は、現住職が、里山再生に取り組む中で、墓地を設けられたそうです。この形式は、禅宗のお寺を中心に、全国に緩やかに広がっているのだとか。

また、神社に付随した霊園もあります。このゴールデンウィークに見学したのは、茨城県笠間市の出雲大社別院の敷地にある霊園でした。
そもそも神道は、森や山といった自然が信仰の対象であり、その中で永遠の眠りにつくのは、信仰の原点に立ち返っているともいえます。

今回、樹木葬の話を聞くうちに、死んだ後も自分で責任をもってどう「生きる(?)」か、考えておかなくてはならないなあと感じました。
今回、見学した樹木葬の墓地は、従来の「家」単位の墓の契約ではなく、「個人」の契約になります。
スペースはあるので、家族で一緒に一つのお墓に入ることは可能です。が、あくまで個人の意志と契約に基づきます。

そしてそのお墓に最後に入った人が三十三回忌を終えると、占有権はなくなり、合葬墓に移り、お墓で単なる「ご先祖様」として、供養されることになります。

私のように、子供もなく、たとえ墓があっても世話をしてくれるような人がいない人間には、ありがたいシステムでもあります。
また、敷地の取り合いでいがみ合わない、里山再生に自分の体を使ってもらうといったコンセプトにも共感しますね。

お墓も多様化して、その選択も自分の価値観を反映するようになる。
それはまさに、自分自身の生き方を反映するものと言えるかもしれません。

2014/5/21

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