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「役に立たないものや、 美しいとは思わないものを 家に置いてはならない」

2015.08.31

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今回のブログのタイトルは、「モダンデザインの父」と言われたウィリアム・モリスの言葉です。
実はこの9月で今の神楽坂の家に引っ越して、ちょうど1年になります。
引っ越しの体験は、私自身がどういうものを身の回りに置くかという問いを突き付けられた経験でした、

2年前、夫の仕事と身体の関係で、急きょ、千葉県柏市から新宿区に引っ越すことになり、約1年後に同じく新宿区内で引っ越し…と立て続けに引っ越すことになりました。

柏の家には、約17年住みましたが、引越し屋さんが当日になって驚くほどのものをため込んでおりました。

私って収納上手だったんですね…(笑)

急きょ決まった引っ越しだったので、事前にはほとんど処分することはできず、その多大な荷物をそのまま持って引っ越すことに。
根本的に持っている者を見直したのは、2回目の引っ越しでした。

家の広さそのものは、どの家もそれほど変わりはありませんでした。
しかし、収納の基本思想とレイアウトが違う…そのことで、こんなにモノが収まらないとは(涙)
例えて言うなら、パソコンのOSが変わってしまい、今まで使っていたアプリケーションソフトが使えない状態。

で、まず「とっておく/処分する」基準を大幅に見直し。

そこで決めた一つは、「また正価のお金を出して買いたいか?」
もう一つは、「これから年老いていく中でも使うものか?」です。

引っ越しと前後して、親の老後のことや相続のことなど、一定の方向性が見えたので、自分たちの今後の生活も具体的に描けるようになりました。
その生活に即して考えて、必要か否かを判断することにしたのです。

一番影響の合った老後のイメージは、「自分が死んだ後に残していて、果たして大きな迷惑にならないか?」ということです。

私たち夫婦には子供がいません。
だとすると、夫婦が死んだ後の遺品を整理するのは、妹か甥っ子になる可能性が高い。

そう考えると、たとえば、着物初心者の頃に、とにかく数がほしいというだけで揃えたお手軽値段の着物などは「残さない」という判断になるわけです。

たいへんだったのは、大量に買い集めた本。
時折、読み返すのが他の市民だったりするのですが、これも数百冊処分しました。
後から仕事に使いそうなものはデジタル化で残すことに。
書物の中身は、自分の中に知恵となって残っているはず…そう考えることにしました。

 

次に「整理する方法」です。
「ものを整理する」というと、イコール「捨てる」と考えがちですが、私は必ずしもその方法をとりませんでした。
確かに、「また正価を出してまで買わない」と判断したものの多くは処分しました。
しかし中には、別れたくても別れざるを得ないものが出てきます。

私の場合は、結婚当初に買った食器棚とダイニングテーブルがその代表例。
気に入っていたのに、新しい家に置くと、寸法や形が原因で、どうしても快適な生活に支障をきたすことになってしまうのです。

しかし、「所有よりシェア」の時代とはよく言ったもので、ほしいという人が見つかるものです。
両方とも、Facebookで呼びかけたところ、知人から「ほしい」と申し出があり、めでたく嫁いでいきました。
ありがたいことです。

その他の、捨てるには惜しい家具類は、「ジモティー」という無料の中古品やりとりの掲示板を通じて、引き取ってもらいました。

また、「ワールドギフト」や「ちゃりぼん」のような、不用品を寄付する仕組みも使いました。

身の回りのものには、魂がこもっているような気がして、安易には捨てられないという人も多いと思います。
私がまさにそうでした。
でも、捨てるわけではなく、新しく生きる場を見つけ、そこで生かしてあげる方法もあるということが発見でした。
ある意味、中高年のキャリアに似た話かもしれません。

同じように、あふれるモノに悩んでいる方向けに、整理収納についてセミナーを開催します。

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