「社会モデル」の講義から考えたこと――「屈辱」という強い言葉が問いかけるものと、伝え方のグラデーション
2026.09.03

先週は、東京大学本郷キャンパスにて開催された「組織変革のためのダイバーシティ(OTD)ワークショップ講師養成講座」に、事務局スタッフとして参加してきました。
さらに今回は、「ファシリテーション」についてのミニ講座でも登壇させていただくことに。
直前まで北欧に行っていたこともあり、頭の中はまだ旅の余韻で少し浮ついた状態(時差ぼけもあったかもしれません……)。頭と体がうまく一致しないまま壇上に上がることになりました。
本音を言えば、「ファシリテーション」や「プレゼンテーション」をテーマにお話しするのって、できれば避けたいテーマです。「あなた自身のファシリテーションやプレゼンはどうなの?」と、自分自身が試されているようなプレッシャーを感じてしまうからです。
心中にはそんなかすかな抵抗感を抱えつつも、いざ受講者のみなさんの前に立つと、不思議と力が湧いてきました。それぞれが現場での強い課題意識を持って参加されている熱量に触れ、私自身のスイッチも入ったのだと思います。
「社会モデル」と「屈辱的」という言葉
この2日間は、スタッフ仲間と知見を深めたり、受講者のみなさんとDE&Iについて対話したりと大変充実した時間を過ごせるのは、ボランティアスタッフの特典です。なかでも特に印象深かったのが、尊敬する飯野由里子さん(東京大学特任教授)による「社会モデル」についての講義でした。
講義の中で、「マジョリティとマイノリティは単なる人数の多寡(数の問題)ではない」というお話がありました。
世の中の規範や制度、いわゆる「普通」や「当たり前」とされるものは、影響力を持つマジョリティ側の都合で設計されていることが少なくありません。その枠組みに合わないマイノリティは、日常的に不利益を被ることになります。
そんな状況を端的に表しているのが、「マイノリティは屈辱的な思いをしている」という言葉でした。
不利益を被るだけでなく、その規範に合わない配慮や対応を求めるとき、マイノリティ側は「下手(したて)に出て、頭を下げてお願いする」というプロセスを強いられることが多々あります。
たとえば、夫婦別姓の議論を思い浮かべるとわかりやすいかもしれません。
結婚時に改姓するのは多くの場合、女性です。職場で旧姓(通称)を使い続けたい場合、会社に対して担当者へ申請し、「使わせてください」とお願いをしなければなりません。もちろん改姓するのは女性に限った話ではないですが、社会通念上、女性の方が「変えて当たり前」と思われていることが多いですし、何なら姓を変えることが「女性の幸せの象徴」と語られる節もあります。でも、それで不利益を被ることは少なくありません。
改姓に伴う手続きの手間ひま。結婚前の実績が結婚後に認められにくくなること。今は通称併記が認められるケースも増えましたが、そのために追加の時間や労力をかけて手続きを踏む必要があります。
本来、制度や社会の側に不均衡があるはずなのに、それを公平・平等にしてもらうために、当事者がわざわざ頭を下げてお願いしなければならない。「あなたは特別扱いしてもらっているんだよ」と言われているかのような理不尽さ。
それを飯野さんは「屈辱的」という言葉で表現されていました。この表現には、当事者が抱える言葉にならない痛みが的確に表されていると感じます。
強い言葉をどう届けるかという葛藤
一方で、講師やコンサルタント、あるいは企業でDE&Iを推進する立場として考えたとき、この「屈辱」という強い言葉の使い方には難しさも感じます。
もしマジョリティ側に対して「あなたがしていることは、マイノリティに対する屈辱的な扱いです」とストレートに伝えたらどうなるでしょうか。おそらく大半の人は「そんなつもりはサラサラない!」と強く反発や抵抗を示すはずです。悪気がないからこそ、拒絶反応が起きてしまう。
ここに大きなギャップがあり、同時に変革を阻む問題の本質があるのだと思います。
「屈辱的」という言葉は非常にインパクトがあり、記憶に深く残ります。マイノリティの立場からすれば、「まさに自分たちが抱えていたやり場のない気持ちを言語化してくれた」という強い納得感や爽快感があるはずです。
しかし、対話を通じて社会や組織を変えていこうとするとき、相手の反発を招く可能性が高い言葉をどう扱うべきなのか。
強い言葉で現状を鋭く問い直すのか。
それとも、相手が受け止めやすい言葉を選び、少しずつ根気よく歩み寄りながら変えていくのか。
置かれている立場や役割、その時々の状況によって、選ぶアプローチは多様であっていいのだと思います。
忘れてはならないこと
けれど、どんなアプローチをとるにせよ、「制度や規範の狭間で、実際に屈辱だと感じている人たちがいるのだ」という事実だけは、決して見落としてはならないと強く感じました。
相手に届く伝え方を工夫することと、当事者が感じている痛みの深刻さを薄めてしまうことは違います。
悩ましい問いではありますが、だからこそ学び直し、考え続ける意味があるのだと実感した2日間でした。今回得た気づきや視点を、今後の研修や組織づくりの現場にも丁寧に還元していきたいと思います。
個人の力を組織力へ。ダイバーシティ推進・ミドル活性化は朝生容子へ