九州の旅で考えた「女性は男性を手のひらで転がしている」の罠
2026.05.24

こんにちは。オフィスキャリーノの朝生容子です。
先日、仕事とリフレッシュを兼ねて九州地方を旅してきました。そこで、DE&I専門家として考えさせられる出来事がありました。
美味しいご飯と温かい人々に大いに癒される中、町長や町役場スタッフと話す中で、「地域のジェンダーギャップ」についての話題になりました。
九州は、「九州男児」のイメージが強く、ジェンダーギャップ指数が課題に挙げられることも少なくありません。そんな話題が出たなか、鹿児島出身の女性が、同席していた男性たちに向かってこう言ったのです。
「実は『薩摩おごじょ(鹿児島の女性)』って、実は男性を手のひらで転がしているんですよ!」
彼女は、表向きはともかく、男性たちを前に「実際は女性にだって実力もパワーもあるのだ」と伝えたかったのだと思います。
しかし、私はその言葉を聞いた瞬間、胸の奥に強い違和感を抱きました。
「……So What(だから何だろう)?」と。
「賢い女性」という持ち上げに潜む、構造的差別の隠蔽
「裏で男性をコントロールしているから、女性は実質的に強い」。
一見、女性のエンパワーメント(力づけ)のように聞こえるこのロジック。しかしここには非常に根深い「擬似エンパワーメントの罠」が隠されているように思えます。一見、力を認めているようで、実は本質的な権限は与えず、裏方に閉じ込めてしまうという構造的な罠です。
別の言い方をすると、「慈悲的差別(ベネボレント・セクシズム)」の一種になりかねないとも考えられます。
「慈悲的差別」は、ジェンダーの文脈で言えば、「女性は守るべき存在だ」「女性は裏で男を支える賢い存在だ」と好意的心理からの行動が、結果的に従来の性別役割分担(ジェンダーロール)を固定化させてしまう差別のことです。
「女性は裏でうまくやるのがスマート」
「男を手のひらで転がすのが賢い生き方」
そうやって褒め称えられることで、私たちは知らず知らずのうちに「裏方に徹する」という社会的ジェンダーロールを受け入れさせられている(強いられている)のではないでしょうか。
裏でどれだけ男性を転がしていようと、現実に意思決定を行うオフィシャルなポジション(役職や政治の場など)は男性が独占しているとしたら…?それを「裏で操っているからいいじゃない」で済ませてしまうのは、「公式なチャンスが女性に与えられない」という構造的な差別を隠蔽し、現状を温存することに他なりません。
「『実は女性が手のひらの上で男性を転がしている』という言葉を、これからの未来を生きる自分の後輩女性たちに、言えるだろうか?」という思いが湧きました。
「私たちは裏でうまくやるから、表舞台は男性たちだけでどうぞ」
そんな社会を、次の世代に引き継ぎたいわけではないはずです。
必要なのは「裏の操縦術」ではなく「表の選択肢」
相手が男性だったからこそ、女性を守るために出た言葉だったのかもしれません。しかし、意図を明確に伝えないと、「ほら、女性たちも今のままで満足しているじゃないか」と曲解され、変化を阻む言い訳に使われてしまいます。
もし、あの場のロジックがこうだったら、私は深く腑に落ちていたでしょう。
1. 表向きのジェンダーギャップ(数値など)は確かに良くない。
2. しかし実態として、女性には手のひらでの上で動かすほどの実力とエネルギーがすでにある。
3. 「だからこそ」、その実力を裏方に留める(埋没させる)のではなく、オフィシャルなポジション(表舞台)でも発揮できるよう、機会が平等に提供されるべきだ。
DE&Iの本質:誰もが「表舞台」を選べる社会へ
実力があるからこそ、裏で転がすトリックスターになる必要なんてないのです。表舞台で、自分の名前で、堂々と力を発揮できる選択肢があって初めて「平等」と言えます。
ジェンダーギャップの解消とは、男性と女性の「力比べ」ではありません。
隠れた実力者が、その実力に見合った「公式な打席」に立てる仕組みを作ることです。
「うちは裏で妻が握っているから平等だよ」
「女性が影の支配者だから問題ない」
そんな都合のいい言葉に誤魔化されず、「それって本当に平等?」と構造を問い直す視点を、私たちは持ち続けなければなりません。そんな思いを新たにしたのでした。
個人の力を組織力へ。ダイバーシティ推進・ミドル活性化は朝生容子へ