映画で考える子どものいる人生・いない人生~「クロワッサンで朝食を」
2018.08.05
子供のいない人生と、子供のいる人生…対比として面白かった映画が「クロワッサンで朝食を」です。
<あらすじ(公式サイトより)>
エストニアで母を看取ったばかりのアンヌに、パリでの家政婦の仕事が舞い込む。悲しみを振り切るように、憧れのパリへ旅立つアンヌ。しかし、彼女を待ち受けていたのは、高級アパルトマンに独りで暮らす、毒舌で気難しい老婦人フリーダだった。フリーダはおいしいクロワッサンの買い方も知らないアンヌを、冷たく追い返そうとする。アンヌを雇ったのは、近くでカフェを経営するステファンで、フリーダは家政婦など求めてはいなかったのだ。だが、遠い昔エストニアから出てきたフリーダはアンヌにかつての自分を重ね、少しずつ心を開いていく。やがてアンヌは、フリーダの孤独な生活の秘密を知るのだが──。
エストニア出身で長年パリに暮らす子供のいない大金持ちの女性フリーダをジャンヌ・モローが演じてちょっと前に話題になりました。
対して、フリーダの世話をする仕事のためにエストニアからパリに出てきたのがアンヌ。
地元に子供はいるけど既に独立し疎遠、母親の介護にあけくれている。
飲んだくれの夫とは離婚しているため一人暮らし。
母親の死によりしがらみがなくなり、憧れのパリにやっと出てきたという設定。
この映画で最初に感じたのは、お金があるのに、心許せる家族のいないフリーダと、家族はいるのに孤独感をかみしめざるを得ないアンヌの対比。
フリーダ―は、若い恋人を追いかけ、店まで出してやるけれど、相手はいい大人だから、彼女の思い通りにはならず、別れを切り出される始末。
アンヌも子供は電話程度はしてくれるものの、それぞれの人生を歩んでおり、日々の心の支えにはならない。
そんな二人がパリで出会う物語。
一見、雇う側のフリーダがアンヌに一方的に嫌がらせをしているように見えるが、実はアンヌがいなくては、食事の一つもできないのがフリーダの現実。
折れるところは折れるけれど、毅然とした態度をとるアンヌを認め、フリーダ―は折り合いをつけ始める。
フリーダの孤独を癒そうと、アンヌはエストニア出身の古いフリーダ―の知り合いを招待する。
そこで、フリーダが、かつてその古い知人の夫と恋愛関係に陥り、結果として知人夫婦は離婚するに至ったことが明るみに出る。
知人はそのことで、いまだにフリーダを恨んでおり、招待されたことでフリーダが反省していることを期待するのだが、フリーダは毛頭そんな気はない。
むしろ、離婚は自分が原因であるという、その知人のことを馬鹿にする。
ここで私は、それまで少々色ボケじゃないかと思っていたフリーダに、強く共感してしまった。
今の孤独も、かつての自分の行いからであることをしっかり受け止めている。他人のせいにはしない強さがあった。
家政婦であるアンヌも、自分の人生を自分の責任として引き受けるフリーダの姿勢に共感したのではないだろうか。
だからこそ、一度は帰国しようとしたものの、最終的にはフリーダのもとに留まることにしたのだと思う。
そこは同情ではなく、共感であったように私には思えた。
子供がいないことを何かのせいにしても始まらない。
現実は現実として受け止め、後悔しない人生であったと最後に言えるようにするため、何を考え、どう行動していくか、よく考えていきたい。
2014/4/15 掲載