お茶の点前の先にあるもの
2017.12.20
お茶のお稽古に先生のお宅にうかがったら、床の間に何やら難しい字が書かれた文書が並べられていました。
「わー、なんだかすごいですね」と、その大きさに驚いていたら、自分の茶道の許状でした(^-^;
このたび、裏千家の「上級」、つまり「大円真」「真之行台子」という奥秘、奥儀を学ぶことを許可されました、
…が、私の脳裏にまず浮かんだのは、「まずい」という言葉でした。
「うれしい」でも「ありがたい」でもなく…。
この許状、裏千家的の定義では、「教授者となることができる」とされているのですが、まったく中身が伴っていないからです。
社中の若い人に、何か質問をされても、「さあ…先生に確認して」としか言えないワタクシ。
「四十の手習い」なので、吸収においても定着においても、自分の記憶力は、はなはだ心もとないのです。
最近は自分のお稽古の日をたびたび忘れてしまう始末。(忙しくて振替が続いたから…ボケではないと信じたい!)
「奥秘」といわれるお点前は、まず人前で行われることはないものです。
だから、お茶会を楽しむだけだったら、使われないものです。
「こんな、ややこしいものを学んで、何になるのか?」という疑問が浮かぶことも否定できません。
それでも、なんとかかんとか続けていると、ふと気付けることもあります。
言葉にするのは難しいのですが、たとえば自分自身のことについて。
私は先を急ぐあまり、つい手元のことがおろそかになりがちな傾向があります。
加えて、ちょっとミスをすると、そのことでパニックに陥りがちです。
お茶のお稽古は、そうした自分自身の特徴に、非常によく気づけるのです。
何か特段の実利的な目的を設けない、「道」と言われるものが、ぼんやりとでも感じられるようになったのかもしれません。
でもそれは、きっとこの先、また違うものとして見えてくることになるでしょう。
そうした変化を楽しみにしている自分がいます。
ともかくも、ここまでご指導いただいている先生や、お茶の楽しさを教えていただいた前の先生、お茶仲間、そして、家族に感謝の気持ちでいっぱいです。
この先もどうぞよろしくお願いします。