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平成最後のお正月に平成を振り返る

2019.01.06

「青松多寿色」初釜出かけられたお軸より

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。
ブログもぼちぼちですが、続けていきますのでどうぞよろしくお願いいたします。

お正月の2日、皇居一般参賀に行ってまいりました。
開門前の9時には並んだにもかかわらず、拝謁できたのは13時の回。なんと4時間待ち…。見通しが甘かったですね。
拝謁できる広場入っても、満員電車のごとくぎゅうぎゅうづめなので、私のように背が低いとほとんど前が見えません。
4時間待ちにもかかわらず、見えたのはほんの一瞬…。
それでもまあ、当初予定より時間を早めていただけたわけだし、ちょっとでも見られたわけだし、良しとしましょう。

そこまでして出かけたのは、「平成」という時代に、私なりの思い入れがあり、その気持ちにけりをつけたかったのです。平成最後の「一般参賀」の場にいられたことで、気持ちにけじめをつけられた気がしています。

私が社会人になったのは昭和最後の年。社会人生活は、ほぼ平成の時代と重なります、
就活をした年は円高不況で「内定切り」もあり、バブルの賑わいの中でちょっと暗い影が差した年でしたが、まだまだ未来への成長や発展を信じられる時代でした。
平成は、そうした明るい見通しがなくなり、未来に対しては不安が先立つような時代に変わっていったといえます。

一方で、経済的に浮かれて「高ければよい」とばかりに、ブランドものを求めるような状況から、人間にとって大事なものは何かを問われるようになったのが、平成の時代であったようにも思います。

就職してすぐのこと。証券会社に入った友人から「株は買うべき。戦後から今まで株価は下がったことがない」と言われたことをよく覚えています。
新入社員研修の集合の際に、真新しいヴィトンのボストンバッグがずらっと並んでいた光景も印象的でした。みんな卒業旅行で買い求めてきたのでした。

誤解しないでいただきたいのは、ブランド品を買うことを非難しているわけではないことです。ブランド品を使ってみたからこそ、その良し悪しを知ることができたのだと思います。ただ、「みんなが持っているから」といった理由で物欲が刺激されていたというのも否めない時代の風潮だったなと思うのです。

そう考えると、今の時代の「シェアエコノミー」といったトレンドは健全に思えます。
考えてみると、私の幼いころはいとこや近所の年長の人のおさがりをもらって着るなんてことは、割と一般的でした。シェアエコノミーは、もともと日本にあったものなんです。
むしろ、バブルの頃が特殊で、今のトレンドは原点回帰なのかもしれません。
(ちなみに、私は当時、ブランド品にうとく、また大学3年生の時に卒論で取り上げたトルコ旅行で貯金を使い果たしていたため、なーんのブランド品も持っておりませんでした…)

平成の時代で、とても残念なのは「女性活躍」が思ったより進まなかったことです。
男女雇用均等法施行間もないころで、30年前は「翔んだ女性」などという言葉がはやっていました。私も女性が企業社会の中で仕事を通して活躍できる未来を信じていました。

しかし、その後、「失われた10年」と言われる平成不況に襲われ、女性活躍などは忘れ去られていきます。企業にその余裕がなくなってしまったのです。
そして10年は20年になり…。結局、経済的な価値において「女性活躍」というのはコストとしかとらえらなかったのが、本当の意味で「女性」が活躍できる環境につながらなかった原因である気がしています。

もちろん、育児休暇制度が整備され、働く女性の数が増えたことは変化です。ただ、数が増えたことで力を持つにまで至らず、むしろ女性の間での分断が目立っているの現状…。

それをよく表しているのが、ハフィントンポストの12月18日付けの以下の記事です。

ジェンダーギャップ指数2018、日本は110位でG7最下位「日本は男女平等が進んでいない」

「なぜなら、女性が圧倒的なマイノリティーである環境下では、女性側にも「自分は実力で登用されたのだから『女性』として振る舞うのは嫌だ」「『女性枠』として扱われたたくない」といった反応が出てくるからです。不利な状況にあるのに、女性同士で団結するどころか、むしろ対立してしまう。
政治の場に限らず、ビジネスの場でも日本には「シスターフッド(女同士の絆)」が足りないと思います。「女性は同性の悪口を言うのが好きだから」などとよく揶揄されますが、違いますよ。つねに「多数派に対してどういうスタンスを取るか」を迫られるから、引き裂かれるんです。」

(記事文中、上智大学三浦まり教授コメントより)

・・・とつらつら書き連ねてきましたが、ここまで書いてふと気づいたことがあります。
ああ、私はこうして「分断」されてしまった人たちを、つないでいくことがしたいのだなあと。
というわけで、今年の抱負は「つなぐ」。
たぶん、これは新しく定められる元号の時代を通じて、ずっと取り組んでいく私のテーマになると思います!

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