『ばけばけ』最終回に寄せて――「地位財」の成功よりも、「非地位財」の幸せを
2026.03.29

朝ドラ『バケバケ』が、ついに幕を閉じましたね。皆さんはどのような気持ちで最終回をご覧になったでしょうか。
前回のブログでは、主人公・おトキではなく、夫であるヘブンさんのキャリアに注目しました。ライターとしての輝かしいキャリアを諦め、家庭を選んだ彼のジレンマこそが、このドラマの隠れた、しかし大きなテーマだったのではないか――。しかし、最終回ではそんな問いが、全く別の角度から、くるっと転換されたような感覚を覚える展開となりました。
「後悔」が「確信」に変わった瞬間
最終回に向けて、ときは「夫のキャリアを制限してしまった」という後悔の念にさいなまれていました。「回想録」のためのヒアリングのなかで、何度も何度も語られるその悔いの念は、家族のために夢を横に置いたヘブンのことを思い出し、見ているこちらが苦しくなるほどでした。
ところが、その重苦しい思いがくるりと転換したのが、ヘブンが帝大勤めの際に着ていた「フロックコート」について語ったくだりでした。
松江時代から和装を好み、洋装を嫌がるヘブンさんに、おトキは「帝大の人たちは洋装を期待しているから」と着用を促します。その際、コートの名前を「フロッグ(カエル)コート」と聞き間違えてしまったおトキさん。その愛らしい間違いをヘブンさんがいとおしく感じ、あんなに嫌がっていた洋装を受け入れたのです。
自分の勘違いと、ヘブンさんが洋装を嫌がらなくなった理由に初めて気づいたおトキ。
ヘブンさんにとっての幸せは、後世に残る実績を上げることよりも、こうした日常の何気ない、ふっと笑ってしまうような、ささやかな時間を積み重ねること自体にもあったのだったのだということにも、気づきました。
「何事も起きない」ことの豊かさ
脚本のふじきみつひこ氏によれば、このドラマは「何事も起きない」ことを描いたのだそうです。
実在の偉人(小泉八雲)をモデルにしながら、あえてその偉大な功績を前面に出さず、むしろ「世間やパートナーが期待するような目覚ましい実績を挙げていない」姿として描く。実際の八雲氏は、帝大を解雇された後、早稲田大学に迎入れられたそうですが、そのことさえ書かず、教員としては「解雇」された状態に留めています。あえて教員のキャリアにおいては「不要な人」と烙印を押されたように描いたように思います。
これまでの朝ドラの多くが「何かしらの成し遂げた証」を描いてきたのに対し、今作は「価値観の大きな転換」を提示しました。
幸せの二つのカタチ:「地位財」と「非地位財」
ヘブンさんが選んだ人生を、ウェルビーイングの視点から「地位財」と「非地位財」※という概念で読み解くと、その価値が鮮明になります。(※経済学者ロバート・フランクが提唱した理論)
• 地位財(Positional Goods)
周囲との比較で満足を得られるもの。社会的地位、役職、目覚ましい実績、年収など。
これらは一時的な高揚感をもたらしますが、上には上がいるため「もっと、もっと」と際限のない競争に陥りやすく、幸福感が持続しにくいという特徴があります。
• 非地位財(Non-positional Goods)
他人との比較ではなく、それ自体に価値を感じるもの。健康、自由、良質な人間関係、そして何気ない日常の喜び。
これらは「他人からどう見えるか」に左右されず、幸福感が長続き(持続)しやすいのが特徴です。
ヘブンさんが起こした「価値観のパラダイムシフト」
かつての仕事仲間であるイライザがヘブンさんに期待したのは、まさに「地位財(目覚ましい執筆実績や名声)」の獲得でした。最終回間際、おトキが抱いていた後悔も「自分が夫の地位財を奪ってしまったのではないか」という不安だったと言えるでしょう。
しかし、あの「フロッグコート」の笑いの中に、ヘブンさんは自分にとっての真の価値を見出していました。
彼がこの世を去る時に感じていたのは、世界的な名声という「地位財」ではなく、愛する家族と笑い合い、日々を穏やかに過ごすという「非地位財」の豊かさだったのではないでしょうか。脚本のふじきみつ彦氏が描いた「何事も起きない日常」とは、言い換えれば「比較の対象にならない、絶対的な非地位財の積み重ね」であったように思います。
キャリアコンサルタントとして思うこと
ただ、私がこの物語で最も大切だと感じたのは、ヘブンさんも、「悩み抜いた末に」その答えにたどり着いた、という点です。そしておトキも、後悔の念に苛まれた末に気付いたという点です。
もし、周囲から「家族のために夢を諦めるなんて立派だね」「家庭の幸せの方が大事だよ」と最初から言われて納得させられていたとしたら、それはきっと、ただの「妥協」や「押し付け」になっていたでしょう。
自分で悩み、葛藤し、後悔し、その果てに「これが私の、私たちの幸せなんだ」と腑に落ちる。この「納得して選ぶ」というプロセスこそが、人生のオーナーシップを取り戻すために不可欠なのです。
キャリアコンサルタントとして相談をお受けする中でも、同じような悩みに直面することが多々あります。
• 社会的な実績やキャリアアップを目指す道
• 家族のケアや、自分自身の生活を大切にする道
どちらが正解ということはありません。大事なのは、最後は誰の言葉でもなく、「自分自身で納得して選んだ」と言えるかどうか。
それを自分の決断として選ぶのは決して容易なことではありません。だからこそ、これからも皆さんの「納得感のあるキャリア」に寄り添っていきたい。改めてそう強く思わされた最終回でした。
個人の力を組織力へ。ダイバーシティ推進・ミドル活性化は朝生容子へ