大統領選に女性活躍を考える
2020.11.08
もつれにもつれた米国大統領選。やっとバイデン氏の勝利で決着がつきそうですね。
個人的に興味があるのが、副大統領候補のハリス氏。
女性というだけでなく、移民で有色人種と、二重三重にマイノリティです。
女性が副大統領候補になったのはこれが初めてではなく、1984年の選挙で、ジェラルディン・フェラーロ氏がモンデール大統領候補と組んで、副大統領候補にあげられました。
当時、大学に入ったばかりの私にとって、候補ではあるものの、女性がこうした要職に就く可能性に驚かされるとともに、わくわくしたことを覚えています。
ところが、それから36年。残念ながらすぐに生まれるだろうと思っていた女性大統領も女性副大統領も、かの地では生まれませんでした。
ヒラリー・クリントン氏の落選では、女性のエスタブリッシュメントに対する反感というのも根強いことを感じました。
ヒラリー氏が大統領夫人だった時代、東大卒の女性の荒廃が「なんとなくいじわるそうで嫌いだ」と評してちょっと驚いたことがあります。「なんとなく」って…。根拠があるわけではないのですよね。主張の強い女性に対しては、同性であっても、高学歴であっても、反発を買うのだと感じざるをえまえんでした。
1982年に発刊された小説「ロスノフスキ家の娘」は、米国初の女性大統領の誕生を描いていました。「近い将来」と感じたその世界も、もしかするとずっと先のことなのかもと感じ始めていました。
そんな時にハリス副大統領の誕生のニュース。
しかも「ロスノフスキ~」と同様に移民の出自です。
旧来のマッチョな米国像への根強いこだわりがある一方で、こうした新しい属性のリーダーを生むダイナミズムがある米国のエネルギーを感じます。
翻って我が国はどうでしょう?
首相はおろか、議員でさえ女性の比率は10%程度といいます。
しかし新しい像のリーダーが生まれてこない理由は、国民が主張しないからではないかと私は感じています。
米国で、トランプ支持の声があると同時に、Noと強く言う人々もいました。
国民が声を上げることで、多様なニーズがあることが伝わる。
それが新しいリーダーを生むエネルギーになるのだと思うのです。