教育というものは「手放す」ことが必須とみたり
2014.08.01
久しぶりの投稿となってしまいました。 キャリアコンサルタントの朝生です。
6月の後半から、「若年未就労者支援」というプロジェクトで、若い人を対象とした研修に邁進しておりました。
就活がうまくいかなかったり、バイトを続けるまま月日が過ぎてしまったり…
いろいろな事情で、いわゆる「新卒での就職」という機会を逸してしまった人が、就職するために行われた研修なのです。
ビジネスマナーとか論理思考とか、「社会人に必要な基礎」を、約10日間かけて学びます。
私はその中の3科目を担当したのですが、
研修初期にはえらく内向的で、何を考えているのかわからないような若者が 研修後半には、
教えられた方法を使い、しっかり意見を述べ、それもすごーく的確な指摘だったりするわけだったりして…
人間の潜在能力というのは素晴らしいと、改めて認識を改めました。
そりゃ、社会人としてはまだまだ未熟ですし、 全員が全員、著しい成長を示したわけではありません。
中には 「どうしてわかってくれないの?」 「だからこうして伝えているのに…」 と、つい思ってしまう反応の人もいました。
でもそれは仕方がない。
きっと今は彼らは、私が伝えたことを受け入れるタイミングではなかったのでしょう。
きっと、将来どこかで、私が講師として伝えたことを思い出して、 「ああ、このことだったのか」とわかってくれる日がくるはず。
そんな風に最近、思うようになりました。
「仕方ない」といっても、諦めというよりは、いつかどこかの彼らの可能性を信じている感じでしょうか・・・。
もちろん、この場でわかってもらえたら嬉しいので、そのためのできる限りの創意工夫はします。
その結果、研修期間内に変化が見られなかったら、それは仕方ない。
彼らがそのタイミングではなかったか 私の実力不足だったか、どちらか。
それを受けとめるしかなく、彼らの態度にイライラするのは筋違いというものでしょう。
昔の私だったら、そうした反応を示した人が気になって イライラしたり、気を悪くしたりしていたでしょう。
歳のせいかもしれませんね(爆)
そうはいっても、実際に彼らを部下として使う上司であったら、それはそれで至らないところばかり目が行ってしまうのだろうなあ…
講師ではなく部下だったら? それはまた次の機会に考えたいと思います。