そこまでの覚悟があるのか?~歌舞伎「吉野川」を観る
2016.09.15
今月の歌舞伎座では、吉右衛門丈と玉三郎丈と、今日の歌舞伎界を担う大看板が競演!
その演目が「吉野川」です。
いつもは下手にかかっている花道が、上手にもかけられ舞台上の中心は川が流れるという美しい舞台設定も珍しく、歌舞伎座にかけつけました!
(いつもは3階席なのに、1階席を奮発して!)
観るのは2回目ですが、前回は悲恋となる若い二人の恋人たちに涙…
しかし、今回、心のに残ったのは、恋人たちの親のことでした。
【「吉野川」あらすじ】
大判事清澄と太宰の後室定高は領地争いで対立している。だが清澄の子、久我之助と定高の娘、雛鳥は恋仲である。
時の権力者、蘇我入鹿は、清澄と定高に、それぞれ久我之助をわが家臣に、雛鳥を我が側室にせよと無理難題を言い渡す。
久我之助は以前に、帝の妻を入鹿から匿った経緯があり、家臣にすることでそれを暴こうという魂胆だった。
雛鳥と久我之助は川越しに、両家の不和のために一緒にならない身の不幸を嘆く。
そこへ清澄、定高が重い足取りでそれぞれの館に帰ってくる。
入鹿の命には従うことができないと決意した二人は、久我之助、雛鳥に事の顛末を語り、涙ながらに子を手にかける。
互いに相手の子の命を救おうとするのだが、川越しに双方とも死んだことを知り、定高は嫁入りとして雛鳥の首を雛人形とともに川に流し大判事に受け取らせる。
こうして二つの家は過去の行きがかりを捨てて和解し、二人は死して夫婦となる。
「我が子を手にかける」というのは、歌舞伎には割とよくある展開です。
ただ、他のお話ではその理由が「主のため」というのに対し、「吉野川」は「子どものため」。
定高は、娘、雛鳥の操を立て(古い言葉ですが(^-^;)、本当に愛している久我之助にせめて死後、添い遂げさせるため。
清澄は、息子、久我之助が果たした正義を守り、やはり愛する相手と添い遂げさせようとします。
そうした子供たちの生き方は、親が教えたことでもあります。
権力者の命に応じるということは、そんな親としての在り方を自ら否定することになります。
命令に従わなかったことが分かれば、自分とて無事ではいられないでしょう。
我が子を殺すというのは、子供の本当の幸せを守ることでもあり、自分自身の生き方を守る覚悟の表れでもあるように感じたのでした。
翻って、私たち一人一人がどのくらいの強い覚悟で生きているのかを問われた気がします。
実は、今回の舞台で母親の定高を演じた玉三郎丈が、前回見たときには娘、雛鳥を演じていました。
もうそんな月日が流れてしまったのか…
私自身の歌舞伎の観方も変わるわけですね(^-^;
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