【掲載情報】「キレたエリート議員から私たちが学ぶこと」
2017.06.30
豊田真由子議員の暴言問題についての考察を、シェアーズカフェ・オンラインに寄稿しました。
(記事はこちら)
BLOGOSにも転載されています
BLOGOSの記事一覧では「豊田議員は哀れな「準エリート」」と題されていますが、これは先方編集部が作ったものと思われます。
筆者としては、「哀れ」という感情はなく、どちらかというと「自分も同じことをしてしまうかもしれない」という感覚です。本文を読んでいただければお分かりいただけると思います。
彼女の人格や対象者の家族を傷つける物言いや、身体的特徴をあげへつらう「怒り方」は問題です。
しかし、それを直したとしても、改善は表面的なものになるでしょう。
彼女の持つ価値基準、あるいはもしかしたらアイデンティティそのものを見直さないと、怒りの背景にある、彼女の持つ不満は収まらない気がしました。
キャリア相談をしていても、人との比較しやすい「地位財」の獲得が目的になっている方に出会うことが時折あります。
(キャリア的にいうと「外的動機」にあたると言えます)
地位財を求めること自体は否定しません。
それも幸せを満たす要素です。
ただ、求めるものが「地位財」だけに偏るのは危険です。
他人との比較は、相対的であるがゆえにきりがないからです。
結局、比較している以上、満たされることはできません。
こうして書いている私も、原稿が誰かの役に立っているかが気になる一方で、BLOGOSのランキングや「いいね」の数が気になって仕方ありません。
デジタルによる評価が測れて、かつ、それがすぐに情報として世に知られる世の中。
数十年前と比べて、「地位財」的なものに走ってしまいがちになるのも、世の流れとして致し方ない面もあると感じます。
自分の主体的価値基準である「非地位財」の重要性が本当にわかるのは、「中年の危機」を迎える40代だと、私は考えています。
体力や気力が、人生において下降局面に入ることを認識せざるを得ない年代であり、これまでのように自分を奮い立たせて他人と競う事の難しさを認識せざるを得ないからです。
豊田議員は42歳とのこと。
危機的状況ではありますが、これは彼女にとって自分のことを振り返る良い機会なのではと思います。
いや、そうしてほしい。
基本的に能力のある方だと思うので、それをぜひ世のため人のため、そして自分の本当の幸せのために活かしてほしいと思うのです。