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義母を思う

2019.07.14

大好きだった義母が亡くなりました。

写真は、義母の生前にもらった時計です。
ハワイに一緒に行った時に買っていたのを覚えています。
使いやすくて、マザーパールのフェイスのデザインが好きなこともあり、私の時計の中で、いまもっとも出番の多い時計です。

義母の亡くなったいま、この時計を見ると「がんばれ」と応援してもらっているような気持になります。
私も、生まれ変わったらやはりこの人を「お義母さん」と呼びたいと思います。
(↓以前にそんな気持ちをつづったことがありました)

パートナー選びで気を付けること

義母は、ある意味、典型的な昭和の女性の生き方をした人でした。
北海道出身で結婚後は転勤族の夫について全国各地に移り住み、姑の世話や子育てに専念。夫(義父)は昭和一桁。「妻が家を空けるのは許せん」というタイプだったため、なかなか外出もままならなかったようです。

それでも、根が社交的で好奇心旺盛だったのでしょう。
テニスや木彫り、コーラスやフラダンスなど、何かしら習い事をしていました。
義父の仕事の関係で来客も多かったこともあり、一から料理を勉強したとか。
実家を訪れた際に、義母の料理のレシピを聞くのが楽しみでした。

昭和の「専業主婦」の典型のようですが、だからといって仕事を続ける私に対し、批判めいたことを言ったことは一度もありませんでした。

孫ができなかったことも私は非常に申し訳なく感じていましたが、そのことについて「寂しい」というようなことも言われませんでした。

私が義母を敬愛していたのは、周囲の人の生き方を尊重する方だったからです。

50歳を過ぎた頃(ちょうど今の私の年頃)、子宮がんにかかりました。
それを機に、義父は義母が外出したり旅行に出ることも認めるようになったそうです。その後は活発さに拍車がかかり、一緒にショッピングや旅行に出かけることもありました。

亡くなった連絡は、私のスイス出張の最終日で、まさにその日に日本に向けて発つというタイミングで受けました。
その週は、夫も定例の会議がなく、私も研修が一件延期となっていたのです。
告別式などをするなら、まさにこのタイミング…
周囲に迷惑かけずにと義母が気遣ってくれたようにも思えます。

延命治療は避けたい、自分の力で最期まで活動したい…
図らずもその希望がかなえられた死に方だったそうです。

改めて、心から感謝と敬意を贈ります。
本当にありがとうございました。
あなたの娘になれてよかったです。

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