「母の慈愛」発言に傷つく?
2018.12.02
「母の慈愛の心を持って」などと鳥取県平井知事が発言したことに対し、東京都の小池知事が、「ちゃかすような発言で非常に困惑した。私は母になれなかった。安易な発言に大変傷ついた」と述べ、不快感を示したことがニュースになりました。
この件について、Facebookページで率直な感想を述べたところ、さまざまな意見が寄せられ、受け止め方も本当に多様であることを再認識しました。
女性に対して、一概に母性を求めるような発言は、違和感を覚えます。もっというと抵抗感があります。
ただ、私自身がそれで「傷つく」かというと、「馬鹿なこと言ってんじゃないよ」とは思っても、それは「傷つく」とはちょっと違うなあと感じました。
また、小池知事ほどの百戦錬磨のキャリアをお持ちの方が、そんなことで本当に傷ついたのか、というのもやや不思議な思いがしました。
一方で「私だったら、やはり涙が出るほど傷つく」とおっしゃった方もいらっしゃいました。前向きな性格と自負されていても、子どもの有無について言われるのは平静な気分ではいられないとのこと。
この考え方のおっしゃることも、よくわかります。
私がこの件を気にしてしまうのも、裏を返せば、母でないことへのコンプレックスの裏返しかもしれません。
背景には、都市部の財源を地方に振り分ける「偏在是正措置」の意見の対立があります。推進派の平井知事に対し、反対派の小池知事が牽制球を投げたといったところでしょう。その文脈で「母」ということを持ち出されたことに、ややアレルギー的反応を覚えたのです。
母になれなかった悲しみを実感している立場からすると、「母であるか、ないか」といったことを、政争の道具にされてしまった気もしました。そしてそのことに「傷ついた」ように感じました。「母」ということを、自分の中で思っていた以上に尊いものとして、いじってほしくない気持ちがあったようです。