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初釜に思う1

2022.01.31

神楽坂教室でのお床

1月も終わろうとしていますね。 しばらくばたばたしていてブログの更新が滞っておりました…。

ばたばたしていた理由の一つが、茶道関係です。 (本来、ばたつかないようにするのが茶道の目的ではありますが…なかなかその境地に達していません)

今年は、2回初釜に参加することにしました。 そのうちの一つは、札幌から東京に出かけての参加となりました。 連休に実家に行く予定をしていたところ、東京在住自体に通っていた社中の初釜がちょうど日程があったのです。

この教室は、始まってまだ十年経っておらず、通っている方も若い方が多いのです。 私は最長老の一人。

始まったころは、ほとんどの人が着物も着られないし、人前でお点前を披露できるという段階ではありませんでした。 お茶会でお点前するのはもっぱら私…。

ところが、あたりまえといえばあたりまえなのですが、年々、後輩たちが上達し、お茶会でも活躍の幅が広がってきました。今ではむしろ私のほうが頼りにするほどになっています。

たとえば 茶懐石でよく行われる「千鳥」(お酒のつぎ方)も、何度やってもわからなくなります。戸惑っていると、後輩が「こうするんですよ」と教えてくれます。そんな様子を見ると、頼りにならない自分に自己嫌悪を覚えたら、「大先輩」の私の役割ってなんだろう?と、自分の存在意義に疑問を覚えたりすることもあります。

それでも素晴らしいのがお茶の道。だって終わりがないのですから。

一通りの点前等の流れができたらおしまいではありません。 たとえば、お茶時などでは臨機応変に状況の変化に対応することが求められます。 そんな時は、経験に裏付けられた度胸の良さや動じない心(図々しさともいう)がものを言います。

年齢を超えて、お互いに助け合えるというのもお茶会の魅力だなあと思ったのです。 そして、そのためにも、物覚えの悪くなった自分は自分として、別の役割を果たせるよう精進しないと再認識しました。 2回目の札幌での初釜は、年齢についてまた別のことを思ったのです…(続く)

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