5年前の今日を思い出して改めて感謝したい人
2016.03.11
東日本大震災で被害に遭われた方のお見舞いを申し上げます。
私自身は5年前の3月11日のことを思い出すと、見知らぬ人への感謝の気持ちが湧いてきます。
年老いた義母をつれて、都内から一日がかりで義母の家に帰る途中、多くの人に助けてもらったからです。
あの日は都内の自社のオフィスにいて、自宅はJR常磐線沿線にあったため、みごとに帰宅難民となってしまいました。
当時、義父が都内の病院に入院しており、義母が見舞いに行っていて、同じく帰宅できない状態になり、病院に一泊することに。
夫はインフラの会社に勤めていたので、地震のあった瞬間から対応に追われ、まったく連絡つきません。
会社に泊まった私は、翌日に電車が徐々に動き出したのを知り、義母を連れて帰れるところまで帰ることにしました。
義父の入院先の病院場所から、ツイッターで鉄道の復旧状況を確認しながら地下鉄で家に向かいました。
北千住で常磐線接続の千代田線に乗り換えようとホームに入ったところで仰天。
ホームには人があふれ、電車はぎゅうぎゅうづめ。
電車が動き出した情報を掴んで、帰宅者が殺到していたのです。
ラッシュの電車には慣れている自分だけならともかく、足の悪い義母をこの電車に乗せるのは無理…
そう考え、タクシーで帰ろうと、駅を出ました。
これが大間違い。
タクシー乗り場も長蛇の列。
しかも、タクシー乗り場に来る前のどこかでタクシーを拾う人が多いのでしょうか。
なかなかタクシーが戻ってきません。
どこかのお店に入って時間をつぶそうと思っても、駅前周辺のほとんどあいておらず、開いているお店は人があふれている状況でした。
駅は人があふれて、入場制限しており、同じように長い列ができています。
「あの電車に無理にでも乗っていたらよかった…」
自分の判断ミスを強烈に後悔しました。
しかたなくタクシーの列に並びました。
並行しているバスの列にも多くの人が並んでいます。
そのうちに、タクシーの列をバスと勘違いした人が混じって並び始めました。
「ここはタクシーの列ですよ」と声をかけても、本気にしてくれない。
嘘をついて、その人たちをのけようとしているとでも思ったのでしょうか?
疲れ切っていた私は「信じないならいいです。じゃあ、お二人いるのだから、一人が場所をとって確認してきたらどうですか?」と、なかば投げやりに伝えたところ、確認したあと無言で列を離れていきました。
私に対しては謝罪もお礼も、何の言葉もありません。
駅周辺にいる人が、みんな疲労と不安で殺気立っていました。
そうこうするうちに、3時間ぐらいたったでしょうか。午後になってしまいました。
幸い、簡単な食べ物は、地震直後に購入していたので、それで昼食を済ませました。
タクシーはほとんど戻ってこなくなっています。
このまま今日も帰れなかったらどうしよう…そんな不安に駆られていた時、列の前にいた中年の男性と夫婦の話が耳に入ってきました。
「どちらの方向に行くんですか?」「常磐道方面、土浦です」
「私たちも同じ方向です!」思わず、声をかけていました。
私の言葉を聞いた中年の男性が、「だったら自分がこの先の道路でタクシー拾ってきますから、相乗りしましょう」といってくれて、さっと列を離れたと思ったら、タクシーと共に表れ、「これに乗っていきましょう」と声をかけてくれました。
運転手さん以外に、大人5人。
ぎゅうぎゅう詰めでしたが、タクシーに乗れた安堵感でまったくそれも気になりません。
言いだしっぺの男性は、松戸で一番先にタクシーを降りていきました。
せめてものお礼に、持っていたスナック菓子をお渡ししました。
去って行った後姿を今でも鮮やかです。お顔は忘れてしまいましたが。
松戸の家に母を送り、そのあとは自分自宅の柏に向かいましたが、余りよく覚えていません。
私が降りた入れ替わりに、柏から筑波に向かう男性がタクシーに乗っていきました。
タクシー運転手さんもお疲れだったと思います。
常磐線がトマてしまっていた中、遠距離のお客を乗せ続けてくれたことに感謝と敬意を覚えます。
まだ手元にあった、スナック菓子とペットボトルの水も料金と一緒にお渡ししました。
自宅に帰ったときは、すでに暗くなりかけていました。
11階にあった我が家は相当揺れたのでしょう。
大きな損害はなかったものの、食器棚の食器が落ちて割れていたり、本棚の本が飛び出して山となっていました。
考えてみると、当日のことはこうして文章として記録していたことはなかったですね。
あの日のことを忘れないために、こうしてブログに書いておきます。
長文、お読みいただきありがとうございました。