それは心の生活習慣病かもしれない
2015.02.04
前に書いた、本棚の片づけのように、自分の長年の思い込みに気づく瞬間があります。
本棚片付けと前後して、私の気づきを促してくれた体験がありました。
人間は経験を重ねれば重ねるだけ、そこから教訓を得ます。
その教訓があるからこそ、人生にだんだんとうまく処することもできるようになります。
でも、その教訓も環境が変われば通用しなくなることもあります。
そんな時に、過去の経験にしがみついていると、「教訓」は単なる「思い込み」になってしまうのです。
発想の動脈硬化というかなんというか…
そんな自分の思い込みに気づいた体験をご紹介しましょう。
ある企業の女性リーダー向けキャリア開発研修の講師を務めていた時のこと。
とある演習への取り組み方について、自分の過去の経験をもとに説明しておりました。
上司も部下も変わり、担当するお客様も変わった環境で、成果が出せなく空回りが続いた日々。
結局、そのことでマネジャーを降格する羽目に陥ったこと。
「こんなに会社のことを思って働いてきたのに、こんな目にあうのはなぜ?」と苦しんだこと…。
…あれ?
ちょっと待て。
私って、会社のために、必死で仕事してたのか?
会社のために、「残業の女王」と名付けられるほど、働き続けていたのか?
なんか違うんでないかい?
「〇○のためにがんばる」という言葉は、一見、素晴らしい言葉に聞こえます。
でもそれが、自分以外の誰かから認めてもらうための思いだとしたら、認めてもらえなくなった瞬間、自分の存在意義を見失うことになります。
降格したときの私が、まさにそういう状態だったことに、このとき、気づかされました。
会社から認めてもらいたくて、頑張っていた私だったのでした。
仕事そのものに、もちろんやりがいも感じてはいたけれど、「認められたい」という気持ちとどちらが優先順位が高いかというと、後者だったのかもしれません。
そして、「会社のために頑張る自分って素晴らしい」…そんなふうに私は思い込んでいたのです。
たぶん、そう思うことでハードな仕事も耐えられてきた成功体験として、習慣化してしまっていたのでしょう。
本当にそれが自分のやりたいことなのか、改めて考えることも思い浮かばなかったのです。
その思い込みに気づくことができたのが、降格という、ネガティブな体験でした。
病気になって、自分の生活がいかに健康を害していたかに気づくように、人は辛い体験で自分の長年の思考の癖に気づくのかもしれません。