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「おかしい」と思ったことは「おかしい」と言える社会に

2019.12.30

年末ということで、この1年がどんな年だったかを振り返っています。

私にとって最も印象に残っているのは、#MeTooのムーブメントや伊藤詩織さん事件についての判決といった、ジェンダーに関する事件です。やっと、被害を受けた側が、「No」といえるスタートラインに立てたのが今年であったように思います。

セクハラに異を唱える#MeTooは、世界的なムーブメントとして、日本でも昨年から引き続きメディアなどで取り上げられました。その流れの中で、昨年の農水省次官のセクハラ事件から、いろんな職場や就活現場でのセクハラが表ざたになってきました。

しかし、セクハラ被害者を支援する声が高まる一方で、まるで被害者側に落ち度があったような内容の批判も起こりました。特に、ハラスメントを甘受することで利益を得ようとする意図があったかのような内容には、腹の底から負の感情が沸き起こってきました。

それは、単なる怒りではありません。
後悔であり、謝罪であり、言い訳であり…

私は1988年に新卒で会社に入った男女雇用機会均等法世代です。当時は企業に就職しようと考えている話をすると、驚かれることも少なくありませんでした。当時は女性が働くというと、教師や看護師などの専門職か、公務員を思い浮かべる人が多かったのです。そのぐらい、企業に女性が入り、働き続けることは珍しい社会だったのです。

社会人になってからは、それほど多いわけではないと思いますが、「セクハラではないか?」という経験もあります。飲み会の席で偉い人の横に座らせられたり、デュエットするというのはあたりまえ。打ち合わせと称して、男性同士でタンポンの話題を延々とされたこともありました。たぶん、あれは私の反応を見て楽しむ軽いセクハラだったのでしょう。

そういった体験に、均等法世代の多くは口をつぐんできてしまいました。
抗議すると、企業の中に自分の居場所がなくなることが怖かったからです。また、「男性を敵とみなすウーマンリブだ」といった存在として疎まれるのも怖いと思っていました。

均等法世代がそういう対応をせざるを得なかったのも現実です。ただ、黙って我慢してきたことで、結果としてセクハラの問題を今日にいたるまで存続させてしまったことになったのではないでしょうか。声をあげなかった自分に対し、苦々しく感じます。

そんな中で、レイプに対して顔を出して声を上げた伊藤詩織さんの勇気には、驚きとともに、若い世代に対する心強さを覚えました。彼女の訴えが認められ、民事裁判では相手の男性に損害賠償の支払いが命じられたのは、ジェンダーの問題に関して久しぶりに希望を見いだせるニュースでした。

伊藤さんが自ら顔を出して裁判を起こしたことについて、「売名行為だ」という批判やバッシングがありました。被害届を出しても不起訴となりました。そのせいかはわかりませんが、日本ではなく英国を拠点としてジャーナリスト活動をしています。

おかしいと思ったことは、誰かがおかしいという必要があります。
後に続く人はいないかもしれないし、それによって非難を浴びるリスクもあります。
しかし、声をあげると、きっとその声にこたえてくれる人も見つかります。
それが世の中を変えていく第一歩になる・・・そんなことを感じたのが2019年でした。

私の第一歩は、「子供のいない人の職場での肩身の狭さ」をきちんと表に出すことです。それは決して子供のいる人を非難するつもりのものではありません。誰かの働きやすさのために、別の誰かが犠牲になることが前提となっている社会はおかしいと思うからです。そんな社会を変えたいと思っています。

よかったら以下のアンケートにご協力ください。
■子供がいないことを理由に職場で不快な体験をした男性・女性へのアンケート

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