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「幸福学」で、受け入れられた自分のこと

2019.01.20

昨年のことになりますが、慶應大学院の前野隆司教授をはじめとした講師陣が開催した「幸福学基礎講座」を受講してきました。

平日の夜に週1回5回連続で開催されるこの講座、ちょうど仕事の忙しい時期と重なっていたこともあり、最初は参加をためらっていました。
ただ、2回目がいつ行われるのかわからないため、思い切って申し込んだのです。

案の定、遅刻や欠席が続き、まともに参加できたのは2回だけ。

しかも、参加中も気後れするばかり…。
まず参加している人がすでに前野教授のゼミで学んでいる人や、幸福学に関連する事業で実績を上げている人が多い。
かつ、発言も積極的で、ただでさえ遅刻や欠席で気が引けてた状態の私は、すっかり圧倒されてしまったのです。

そんななか、救われた気持ちになったのは、講師の方自体が、そのすごさをアピールするようなスタンスをとられていないことでした。

たとえばこんなことがありました。前野先生が、作られたスライドに「みんなが何かの第一人者になるべき」といった意味合いの言葉あったのですが、受講生たちから「べきというのは違和感がある」といった突っ込みが入りました。
すると、「そうか、確かに…」と言いながら、その場でスライドを直していかれたのです。

また、講師の一人であるユニリーバの島田由香さんは、数回欠席されました。ご家庭の事情だったようですが、講師を務められないことへの申し訳ない気持ちは表明されつつ、ご自分にとって今は家庭を優先したいのだということを率直に伝えられていました。

「ああ、無理して自分を立派に見せなくてもよいんだ…」
「できないことは、できないといってよいんだ」
そんな気持ちになりました。

以前の私だったら、講師の態度としてどうなのか?と糾弾するような気持になったと思います。
前野教授は島田さんも、そう私が感じたからと言って、反論は去れないでしょう。ご自身の気持ちは精一杯伝えたうえで、相手の受け止め方に任せる…その姿勢の背景には、相手への絶対的な信頼感があるように感じました。だからこそ、私もその状況を受け入れられたのだと思います。

そう考えていくと、「フルに参加できない」ことを一番、許していないのは、自分であったことに気づきました。
「受けるならその講座に貢献するべき」という規範を勝手に設けて、それに達しない自分に苦しんでいたのです。誰もそうしろ、とは言っていないのに。

もちろん、高い目標を掲げ、それに努力することを否定していません。
でも、どうしようもない事情があって自分としては最大限の努力をしているのに、できない基準を見上げて自分を責めてしまっては苦しくなるばかりです。

それよりは、興味関心ある「幸福学」の一端を学べる場にいられること自体に感謝をしたほうが、自分が満たされたように感じます。

頑張っている自分は嫌いではないけれど、頑張れない自分も受け入れて、今行っている頑張りに感謝する…そんなことを続けていきたいと思ったのでした。


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