【掲載報告】セクハラで失敗した人は、どうしたら再起が許されるか?
2018.03.13
セクハラを糾弾する#MeToo運動について、アナウンサー登坂氏の例をもとに、感じていることを寄稿しました。
ずっとモヤモヤしていたことを書きました。書きかけては直して、ずいぶん時間がかかってしまいました。
それは、「書いたものの、誰かを傷つけてしまうのではないか?」と言う懸念がぬぐい切れなかったからです。
「再起が許される」とタイトルに書いたので、もしかすると「セクハラなんて許せない!許すべきではない!」と思う方もいるかもしれません。
誤解しないでいただきたいのは、「ことを曖昧にしたまま水に流す」ことを「許す」と言っているわけではないということです。
むしろ、犯してしまったことを「悪い」と認め、さらに自分の弱さに向き合う必要性を訴えたつもりです。
そこを曖昧にするのであれば「許されない」と、私も思います。
迷っていた私の背中を押してくれたのは、レイプの被害を受けたことで戦っている「詩織さん」へのインタビューでした。
詩織さんは、加害男性に対し「怒りを感じてはいない」とおっしゃっていたことに強い共感を覚えたからです。
「私は相手の男性を告発したいのではありません。性犯罪の被害者が泣き寝入りせざるを得ない日本の司法システムや捜査方法、そして被害者に対して不寛容な社会のあり方を少しでも改善したくて、声を上げたのです」
詩織さんの件にしても、登坂アナウンサーの件にしても、#MeTooで告発された例を見ても、性暴力に伴う被害者側の痛みは、理不尽なことばかり。
性暴力そのものだけでなく、捜査や裁判、訴えたときの周囲の反応など、必要以上に傷つけられることが起こることに、驚きを感じざるを得ません。
今後、こうした状況が少しでも解決するように…。
微力ながら、そんな思いを込めて書きました。