受講レポート「筑波大学ILC:アドバンスト・プログラム」
2023.04.02
一昨年に修了した筑波大学の社会人向け講座「インクルーシブ・リーダーズ・カレッジ(ILC)」。昨年2022年は、その修了生を対象にしたアドバンスコースが開講されると聞き、楽しみにしていました。
この講座の特徴は、「当事者」の方が語るということ。
多くの場合、それは「マイノリティ当事者」という立場での話です。
それは、私自身の中にある「マジョリティ性」に向き合う時間となりました。
正直、聞いていて楽しいばかりではありませんでした。
各回のテーマとゲストはこちらです↓
(筑波大学ホームページより)
マジョリティ性に向き合うというのは…たとえば、第1回目の講義は、「女三四郎」と言われた柔道の山口香さん(現筑波大学の教授)をあげて、どんなことを感じたか振り返ってみましょう。
同世代ということもあり、柔道での活躍はよく覚えています。
当時はまだ競技として認知度も低かった「女子柔道」での道を切り開くパイオニアとして、応援していました。
が、「応援していた」というのは私の美しい勘違いだったかもしれません。
山口先生が「当時、試合内容ではなく、女子としてどうか?という質問ばかりを受けた。たとえば試合の時にどんな下着をつけているかなど聞かれた」と話されたのを聞き、自分も当時、そういった興味で見ていたことを思い出しました。
また、どこかで「こんなに武道で強いと選手としてはすごいけれど、彼氏はできないだろうな…私には無理」などと、ジェンダーのステレオタイプばりばりの評価をしていたことも思い出しました。
そうしたマジョリティの暴力性は、実は経済活動にも表れます。
「安いものがほしい」という消費大国の欲求によって、生産側のバリューチェーンに、そのバリューを「安さ」だけ強いていないか?と問題提起されたのは、2回目に話された高津玉枝さんでした。
高津さんは、「サステナビリティ」という言葉が一般的になるずっと以前から、流通の公正さに問題意識を抱き、会社員をやめて活動を始めたというアクティビスト。
「サステイナビリティ」ということさえ、経済的に消費されがちな今日の状況にあって、どういうかじ取りをしようとされているのか?目が離せません。
第3回の「多文化共生」をテーマにした回では、ペルーで生まれ、ブラジルと日本で育った、木村さおりサブリナバルトロさんのお話にもショックを受けました。
ご自分のアイデンティティを常に問われ戸惑いながら生きてきたさおりさん。
彼女は、「多文化ルーツのある若者の代表としての役割を期待されることがつらい」といいます。
マジョリティはマイノリティ理解のためによかれ、と思って、マイノリティの人に発信するよう求めます。でもマイノリティもいろいろな人がいる。
私も時々、「マイノリティ」の属性の人に話してもらうワークショップを開いたりします。その時に、はたしてマジョリティ側から、どこかでマイノリティの属性をひとくくりにし、期待している役割を強いていないだろうか?
そんなことを突き付けられた回でした。
それに対して、パラリンピック・シッティングバレー日本代表だった佐々木一成は対照的に感じました。彼は、障害のある人ももっと発信していくべきだと論じます。
確かに、マイノリティからの発信があるからこそその存在を認識できるというのも真実。そして、マイノリティ側からも多くの人が発信してくれれば、マイノリティといっても一様ではなく、マジョリティと同じように「いろいろな人がいる」ことも伝わるはず。(道のりは遠いけど)
そしてその時に、当事者同士で社会にどう対応したらよいかを研究する綾屋先生の「当事者研究」というアプローチは非常に役に立つのではないかと思いました。
ただし、忘れてはならないのは、マイノリティの人の生きづらさは、「マイノリティが発信しない」という理由が本質ではないこと。
問題の本質はマジョリティ側がその存在や気持ちに対し、思いをはせるということを怠っていることなのです。あるいは、マイノリティ側が発信しづらい環境を作っているということも忘れてはならないですね。
毎回、自分のマジョリティとしての暴力性を認識させられて、1回2時間受けるとへろへろでした。でもこれまで気づかなかった視点を得られた充実感もあり。改めて講座に感謝します。